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沈黙
10日くらい前から地元の駅のはす向かいにある雑居ビル(通勤のとき毎日通る)に警察官が24時間態勢で警備している。3人1組で2人がビル入り口に立ち、1人は向かいに停めたパトカーの中で仮眠というような状態がここ数日続いている。
春に高校を卒業したばかりのような若い警官は防弾チョッキに身を包み、機動隊がかぶるようなスケルトンの顔面カバーのあるヘルメットをかぶり、木でできた長い棒を片手に持ち、早朝も深夜もまじめな顔をして立っているのである。ご存知のとおり私の地元の駅は埼玉の片田舎でそんなこと(警察がものものしく数日間にわたって張り込む事態)は異常なので私を初め地元住民の好奇の視線はいやでも降り注ぐ。

しかし私はそれがいったい何事なのか知らない。初めは殺人事件でもあったかなぁと思ったんだけど、2・3日と続くにつれて、どうやら事件というわけではなさそうだ。そのビルに潜む(あるいは立ち寄るであろう)何者かを見張っているんではないかと推測するのだが、正確なことはわからない。なんだろうなぁと思いながら数日たったぐらいに私は家族にきいてみた。「あれはいったいなんなんだろう」家族も疑問に思いながらも(当然そのことは皆目についていた)理由をしっているものは誰もいない。父は「きっとヤクザがらみだろう」という(こんな町でもヤクザはいるのだと)。母も「防弾チョッキなんて着ちゃって、こっちは何も着ていないのに怖いじゃない」という。弟は「結構前からいるよね」というが、本当のことは誰も何も知らないのだ。
ビルの前を通る通行人も相当気になっているようで、何度も後ろを振り返りながら去っていく。そして微動だにせず警備を続ける若き警察官。

何でもフランスと比べるのはいかがなものかと思うけれど、面白く思ったので書いてみる。
だってフランスでこんなことがあったら(命を懸けてもいいのだが)みんな何かを知っているからだ。例えば家族。私の家族はその事態に気づきながら誰一人理由を知らなかったのだけど、もしこれがフランスの家庭だったら、間違いなく全員が疑問を持った瞬間に警察官に直接何事かを聞いているはずだ。もしくは初めに事実を知った家族のうちの誰かが即行その情報を他の家族に伝えるだろう。
さらには同じように事態を知った近所の人が、ピンポーンとやってきて「ねぇねぇ奥さん知ってます?駅前のあれね・・・」てな具合に知らせにくるだろう。さらには警備に当たっている警官があまりの退屈さに耐えかねて、通りかかる通行人を引き止めてはペラペラと事の起こりと経過を話すだろう。

フランス人は無類のおしゃべり好きだと思う。そして噂好き。疑問に思った瞬間に(人に聞いて)その疑問を解決しようと努める。そして聞いた情報は誰かに話さないと気がすまない(ようにみえる)。ちょっとした話題に何時間も花が咲く。私の住んでいたアパートの管理人オリビエと週に2回にアパートの掃除にくるおばさんの階段でのおしゃべりで何度目を覚ましたことか。とにかっくずうぅっっと話しているのである。そんな時にたまたま通りかかろうものならもう大変で「隣のアパートのだれだれが・・」とか「誰々の下の娘がこのまえどこどこに行ったとき・・」だとか延々と続くのである。初めはその場を離れるタイミングがなかなかつかめず、トイレに行きたいのを我慢しつつ・・・部屋に入れないことがよくあった。

それに比べて日本人って不思議じゃないか?みんな興味をもっているのに、誰一人事実関係を確認する者がいない。(少なくとも私が見た限りでは)私なんか気になりがらも家族に聞いたのも数日後である。でももしフランスにいるときの私だったなら事実を自分で確認していたんじゃないかと推測する。たぶんその警備員にQu'est-ce qui s'est passé?(何が起こったの?)と一言尋ねているだろう。どうしてこういうことが起こるのか自分なりに考えてみた結果、原因は相手(警察官)によるものが大きいのかなと思う。つまりもし彼らに聞いたとしても答えてくれなそうなのである。人間反応がないものへの働きかけは躊躇してしまうものである。それにに対して、その警察官がフランス人だったら絶対に答えてくれそうなのだ。というかむしろ話したくてしょうがないというほうが正しいかもしれない。だからついついみんな聞いちゃうのだと思う。
現代の日本は情報社会といいながらダイレクトな人と人の情報交換、家族、近所、個人と社会(この場合、住民と警察)の関係のありかたが相当希薄なのかなと思う。
社会に対して決して無関心ではないのに(むしろ関心が強いともいえる)それが明確な形をとらない。一旦様子を伺ってみようという日本人特有(ともいえる)の国民性がこんな小さな町のこんなちっぽけな小事件でも垣間見れる。

最近、どちらが良い悪いということではなく国民性ということに興味がある。どうして日本人は、フランス人は、アメリカ人は、中国人はこういう行動をとるのだろうか。どうして私はこう思うのだろうか。これは自分本来の性質なのだろうか、それとも日本人として教育された結果の性質なのだろうかと。生まれ育った環境(家庭環境という狭義でも国家環境という広義でも)とそれが与える教育がその個人の性質に大きく大きく関わっていることを考えると、何かしらの判断を迫られたときには意識的に一度自分をニュートラルな状態にもっていくことが必要なのかもしれない。
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