Qu'est-ce que vous me proposez?

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再開
こんばんは
お久しぶりです。ずいぶん更新が途絶えてしまいました。
初めのうちは、とりわけブログに書くようなことも日常生活ではあまり起こらないので・・・なんとなく時間が経ってしまったのだけど、その間に全く何も無かったかというとそうではなく、それどころかかなりいろいろあって、逆にどこから書いていいのか分からなくなってしまったというのが、ブランクの理由です。

それで、今まであったことをテーマに分けて一つずつというのは、すっごく骨を折る作業なので・・・
こんな風に思いついたことを、少しずつ書いていこうと思います。

そういえば今日はクリスマスイブですね~^^
会社の陰謀か、去年も今年も出勤日なんで、働きましたけど・・・。
楽しいクリスマスを過ごしてください~!

あーどうでもいい記事~(笑)
でもこれで、ようやく重い腰を上げてブログ再開できたぞ。
継続する予定なので、改めてよろしくお願いしま~す^^
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幻と実感と現実
ジムに通っている人にありがちなのは、「ねぇちょっと見て、筋肉ついてきたでしょ」とかいって力こぶを作ってみせたり「ねぇ、体しまってきたと思わない?」と服を捲し上げてお腹を見せてきたりすることだ。ぶっちゃけウザイ。我が家の男性陣はそろってジム通いをしてるので、例に漏れずこのパターンで相当うっとうしい。別に食事中に他人の筋肉なんて見たくないのに、余りにもうるさいから「そうだね」と適当な返事をしている。
ところが自分がジムに行きだすようになるとあっという間に仲間入り。「ねぇ腕細くなったと思わない?」とか「お腹へ込んできたでしょ?」と毎日のように聞き、周りにうるさがられてる。「なんとなくね」とか適当な返事をされるようになってしまった。

ジム通いを始めて3ヶ月がたったのだが、勢いで始めた割には飽きてしまうことなく週に平均2回のペースで通い続けているのに自分でも少々驚いている。
私の通っているジムでは入会メンバーを対象に4回のサポートサービスを実施していて、トレーナーがついてカウンセリングや運動方法のアドバイスなんかをしてくれる。入会当時は仕事が忙しくてこのサービスを延期してもらっていたのだけど、時間ができたので先月から週1回ではじめてみたのだ。1回目は主に身体測定とカウンセリングで、測定した結果と今後のトレーニングをどうしていきたいか、強化したい部位はどこかなどの希望をもとにトレーナーがメニューを提案し、トレーニングマシーンの使い方なんかを教えてくれるのだ。マシーンは使ったこともなかったし、使い方も分からなかったのでそれまでは適当に走ったり、ヨガのクラスに出たりしていたのだけど、これを機にウェイトトレーニングを始めることにした。
そうなると、ねぇちょっと細くなったと思わない?が今まで以上にしつこくなるのは当然の成り行きで、家族から煙たがられている。そして自分でも身体の変化を実感しつつ迎えたこの前の4回目(最終回)で再び身体測定。この1ヶ月のウェイトトレーニングの結果がこの日にでる!数字に表れる結果というものは何事もやる気を起こさせるものである。
最新の測定器は見かけは体重計のようなんだけど、乗って両手にハンドルを握るだけで体重だけでなく、体のありとあらゆる箇所が測定できちゃうというすごいもので(骨量・筋肉量・脂肪量などなど・・・あまり覚えてないのだが)おどろいたのはその測定器で腿やウエスト、腕の太さなんかも測れちゃうのだ。どういう仕組みになっているのかはわからないけど、それらのデータがいろんな形のグラフやら様々な分析やらと共にカラープリンターから出力されるのはもう圧巻である。
もちろん前回測定からの推移も確認することができる。つまり自分んの体がどのように変化したかも一目瞭然なのだ。今回、厳しいウェイトトレーニング(おおげさ)を1ヶ月終え、期待に胸を膨らませながら測定した。
その結果は・・・!?

体重・総合ポイントとも全く変化なし・・・。トレーナーもコメントに困った様子で・・・「あ・・・現状維持できてますね・・・」と苦しい。「き、筋肉は重いですからね・・・見た目はやせても筋肉量が増えてると体重は減りませんし・・・」でも腿・ウエスト・腕周りの例の測定結果も全部増えてんですけど!見ためも太ってるってことじゃん!この1ヶ月の努力はいったなんだったのか・・・なにより「細くなったと思わない?」の実感は幻だったのか?最終的には「食事やライフスタイルなんかもトータルに関わってきますからね」と言われてしまった。
筋肉は3ヶ月くらいしないと定着しないと言うけれど、少しくらいは効果が現れたっていいじゃないかと思う。私のモチベーションが危機的局面をむかえている・・・とぶつぶついいながら今日もジムに向かう。
グリーンデスクエフェクト
職場の自分のデスクは片付いているほうだと思う。自分の部屋はともかく、他人の目に付くところはしっかり整頓してしまうのは私の血液型の特徴的な性格なのかもしれない。
そんなわけで基本的には電話とパソコンとカレンダーしか常在しない机なんだけど・・・やっぱり殺風景なので目に優しい何かを置きたいと思っている。一人暮らしをしていたときにメダカを飼っていてかなり癒された経験があったので机の上に水槽を置いて魚を飼うのもいいかなと思ったのだけど、周りから猛烈な反対を受けたのであえなく断念。結局無難なヒーリングアイテム、グリーンを置くことにした。
緑を置いたはいいけれど会社に持ってきてすぐに枯れてしまってはバツが悪いので(ありがち)今は自室で丈夫に育てられるかどうかの訓練中(私の訓練ではなく植物の訓練です)まもなく訓練期間を終えて、丈夫に育っていける自信のある選ばれたグリーンたちが私のデスクにお目見えする予定。
それにしても今は100均でこんなに可愛い植物が手に入るのだね。特にナチュラルキッチンのものは種類も豊富でお気に入り。
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ミスツイートとその後
ノーベル化学賞を2人の日本人が受賞した朝に「ノーベル賞がほしい!!!」というツイートをとっさに3ヶ国語(日本語・英語・仏語)でしたのだが、なぜか携帯の電波の調子(?)が悪くて送っても送っても未送信ボックスに入ってしまった。
電車が池袋駅に着く頃にようやくツイートが完了したのだけど、うっすら嫌な予感・・・自分のツイートを確認してみると、未送信だと思われた同じ内容のつぶやきがやはり十数回もツイートされてる。うそっコレどうやって削除すんの?なれない携帯アプリを慌てて操作する。
しかも私、TwitterとMixiボイスとFacebookを連動させていて・・・案の定それぞれにミスツイートが反映。携帯端末から各サイトに入って懸命に自分のつぶやきを削除する私。普段英語なんて使わないのに・・・よりによって・・・こんなときにまさかの3ヶ国語。しかも内容はノーベル賞ほしい!!!ってどうしようもなく恥ずかしい内容。てゆうかどんだけほしいんだよノーベル賞!この瞬間に誰もTwitterもMixiもFacebookも見ていないことを祈りながら会社に着くまでに事態を収拾せねばと必死にiPhoneを操作・・・。いやぁ焦った焦った・・・朝から変な汗をかいてしまった。何しろFacebookのページが私の『ノーベル賞欲しい!!!』で埋まったのだから。

それから数日後・・・その誤ツイート事件によるかはわからないけれど、ある友人からTwitterとFacebookを連動させる機能はやめたほうがいいんじゃない?という注意をうけた。
なぜかというとTwitterのようにスピーディーにツイートを発信すると、一人のツイートで他の人の投稿が流れてしまって迷惑に感じる人がいるからということである。実は同じようなことを他の友人と前にちょっと話したことがあったので(そのときはmixiのボイスにtwitterがはいること)そうかそれは悪いことをしたなとすんなり思ったのだった。私はあまりTwitterを頻繁に使ってはいないほうだと思うけれど、これからは使っていきたいと思っているし、他の(mixi、Facebook)ユーザーに迷惑をかけながらやりたくないと思うので連動を解除することにした。それに私のFacebookの友人は日本語を話さない人が多いので、確かに日本語のツイートはちょっと迷惑かも知れない。

そんなわけでmixiボイスとFacebookでは今までのようにはつぶやかなくなるのでTwitterやってる人はTwitterでお会いしましょう!!あとユーザー名を@shuchouteと変更しましたのでこちらも宜しく!

それでも、これはFacebookでも投稿したいなぁなんてツイートもやはりある。そんな時はSelective Tweetsという機能があることを知った。これはとっても便利なアプリでFacebookに反映させたいと思うツイートの最後に#fbをつけるとそれだけがFacebookに反映されるというものだ。さっそくテストでやってみたんだけど・・・見事にうまく機能してない(笑)
連動を解除するときもなかなかうまくいかなくて大変だったんだけど・・・Selective Tweets機能も一筋縄ではいかない。まぁこうして試行錯誤をしていくことで何とかいろいろできるようになっていってる私なのでもうちょっと様子をみてみようと思ってる。
沈黙
10日くらい前から地元の駅のはす向かいにある雑居ビル(通勤のとき毎日通る)に警察官が24時間態勢で警備している。3人1組で2人がビル入り口に立ち、1人は向かいに停めたパトカーの中で仮眠というような状態がここ数日続いている。
春に高校を卒業したばかりのような若い警官は防弾チョッキに身を包み、機動隊がかぶるようなスケルトンの顔面カバーのあるヘルメットをかぶり、木でできた長い棒を片手に持ち、早朝も深夜もまじめな顔をして立っているのである。ご存知のとおり私の地元の駅は埼玉の片田舎でそんなこと(警察がものものしく数日間にわたって張り込む事態)は異常なので私を初め地元住民の好奇の視線はいやでも降り注ぐ。

しかし私はそれがいったい何事なのか知らない。初めは殺人事件でもあったかなぁと思ったんだけど、2・3日と続くにつれて、どうやら事件というわけではなさそうだ。そのビルに潜む(あるいは立ち寄るであろう)何者かを見張っているんではないかと推測するのだが、正確なことはわからない。なんだろうなぁと思いながら数日たったぐらいに私は家族にきいてみた。「あれはいったいなんなんだろう」家族も疑問に思いながらも(当然そのことは皆目についていた)理由をしっているものは誰もいない。父は「きっとヤクザがらみだろう」という(こんな町でもヤクザはいるのだと)。母も「防弾チョッキなんて着ちゃって、こっちは何も着ていないのに怖いじゃない」という。弟は「結構前からいるよね」というが、本当のことは誰も何も知らないのだ。
ビルの前を通る通行人も相当気になっているようで、何度も後ろを振り返りながら去っていく。そして微動だにせず警備を続ける若き警察官。

何でもフランスと比べるのはいかがなものかと思うけれど、面白く思ったので書いてみる。
だってフランスでこんなことがあったら(命を懸けてもいいのだが)みんな何かを知っているからだ。例えば家族。私の家族はその事態に気づきながら誰一人理由を知らなかったのだけど、もしこれがフランスの家庭だったら、間違いなく全員が疑問を持った瞬間に警察官に直接何事かを聞いているはずだ。もしくは初めに事実を知った家族のうちの誰かが即行その情報を他の家族に伝えるだろう。
さらには同じように事態を知った近所の人が、ピンポーンとやってきて「ねぇねぇ奥さん知ってます?駅前のあれね・・・」てな具合に知らせにくるだろう。さらには警備に当たっている警官があまりの退屈さに耐えかねて、通りかかる通行人を引き止めてはペラペラと事の起こりと経過を話すだろう。

フランス人は無類のおしゃべり好きだと思う。そして噂好き。疑問に思った瞬間に(人に聞いて)その疑問を解決しようと努める。そして聞いた情報は誰かに話さないと気がすまない(ようにみえる)。ちょっとした話題に何時間も花が咲く。私の住んでいたアパートの管理人オリビエと週に2回にアパートの掃除にくるおばさんの階段でのおしゃべりで何度目を覚ましたことか。とにかっくずうぅっっと話しているのである。そんな時にたまたま通りかかろうものならもう大変で「隣のアパートのだれだれが・・」とか「誰々の下の娘がこのまえどこどこに行ったとき・・」だとか延々と続くのである。初めはその場を離れるタイミングがなかなかつかめず、トイレに行きたいのを我慢しつつ・・・部屋に入れないことがよくあった。

それに比べて日本人って不思議じゃないか?みんな興味をもっているのに、誰一人事実関係を確認する者がいない。(少なくとも私が見た限りでは)私なんか気になりがらも家族に聞いたのも数日後である。でももしフランスにいるときの私だったなら事実を自分で確認していたんじゃないかと推測する。たぶんその警備員にQu'est-ce qui s'est passé?(何が起こったの?)と一言尋ねているだろう。どうしてこういうことが起こるのか自分なりに考えてみた結果、原因は相手(警察官)によるものが大きいのかなと思う。つまりもし彼らに聞いたとしても答えてくれなそうなのである。人間反応がないものへの働きかけは躊躇してしまうものである。それにに対して、その警察官がフランス人だったら絶対に答えてくれそうなのだ。というかむしろ話したくてしょうがないというほうが正しいかもしれない。だからついついみんな聞いちゃうのだと思う。
現代の日本は情報社会といいながらダイレクトな人と人の情報交換、家族、近所、個人と社会(この場合、住民と警察)の関係のありかたが相当希薄なのかなと思う。
社会に対して決して無関心ではないのに(むしろ関心が強いともいえる)それが明確な形をとらない。一旦様子を伺ってみようという日本人特有(ともいえる)の国民性がこんな小さな町のこんなちっぽけな小事件でも垣間見れる。

最近、どちらが良い悪いということではなく国民性ということに興味がある。どうして日本人は、フランス人は、アメリカ人は、中国人はこういう行動をとるのだろうか。どうして私はこう思うのだろうか。これは自分本来の性質なのだろうか、それとも日本人として教育された結果の性質なのだろうかと。生まれ育った環境(家庭環境という狭義でも国家環境という広義でも)とそれが与える教育がその個人の性質に大きく大きく関わっていることを考えると、何かしらの判断を迫られたときには意識的に一度自分をニュートラルな状態にもっていくことが必要なのかもしれない。
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